チワワの歴史

チワワの先祖は、一般的に中央アメリカ土着の古代種であると信じられていますが、チワワの起源と歴史は、ミステリーと魅力に富んだ物語を持っています。
さて、チワワの歴史については、現在、学者の間に3つの異なるセオリーがあります。

メキシコ先住民族が飼っていた聖なる犬説

トルテカ族の後にメキシコを支配したアステカ族にとって、テチチは神の使いであり、富裕層が所持するテチチは高貴な存在とされました。特にブルーコートは神聖視され、レッドコートは神への生け贄のため火葬にされていたという伝説もあります。赤犬を燃やして灰になると、人間の罪がイヌに乗り移ってその罪は浄化される、とされていたのです。一族の長が死んだときは、生きたまま副葬される風習もあったようです。 そしてその後スペイン人がメキシコを侵略し始め、肉類に飢えていた彼らがイヌを食用としたため、アステカ族はその飼育を辞めてしまったといわれます。その後奴隷となったインディアンたちは、神聖であるはずのテチチを食用のために繁殖したとも、湯たんぽ代わりに抱いて寝ていたとも、飼育されなくなったテチチはそのまま野生化してしまったとも伝えられています。

元来東洋の犬である説

中国人の祖先は、盆栽やチャボや金魚など、動植物を観賞用に小型化する才能に長けており、それがブームとなっていた時代がありました。その時代、中国で小型化したイヌを、メキシコに移住した中国人(アステカ族の祖先はアジアから渡米したといわれている)が持ち込んでテチチとなったというのです。

また、中国人が小型化したイヌを、スペイン人がフィリピン経由でメキシコに番(つがい)で持ち込んだ、というちょっと違う説もあります。1885年頃にはメキシコシティーの裕福層に飼われていましたが、その後、中国人の移民がチワワ州と隣接するアメリカ・テキサス州に持ち込み、それをアメリカ人ブリーダーが引き取って、現在のチワワに改良した、というものです。

ほかにも、アジアからシベリアに渡って来た無毛犬(チャイニーズ・クレステッド・ドッグ)とテチチを掛け合わせてチワワが誕生した、という話もあります。また、当時中国からは相当数の小型犬が輸入され、多くの中国人が移民としてメキシコに渡っています。メキシコで中国人移民が小型犬をかけあわせてイヌを作ることは想像に難くなく、テチチに何らかの手を加えたのではないかともいわれています。現にメキシコでは小型犬の総称を「中国犬」と呼ぶそうです。
いすれにしろ19世紀頃には、アメリカ/メキシコ国境付近で、かなりの数のチワワが飼育されていたということは確認されています。

マルタ島説

紀元前600年頃、チワワは北アフリカからカルタゴ人によってマルタ島に連れて来られ、ポケット犬として知られるようになりました。チワワは地中海の各地に数百年の間、比較的変化することなくその原型を留めていたといわれています。1841年にマルタ島がイギリス領となったのを期に、チワワはイギリス本土へ渡り、ヨーロッパに広がるのです。さまざまな人がチワワの姿を絵や文献に残していますが、それらは現在のチワワの特徴をよくとらえています。ある本では「マルチーズ・テリア」とも紹介されており、システィナ礼拝堂にあるボッティチェリのフレスコ画にも描かれ、少年に抱かれる小さなクリーム色のイヌがチワワであるという人もいます。そして、スペインの王室で飼われていたという記録も残っていることから、スペイン人の植民者によりメキシコに渡ったのだろうと推測されているのです。